熱海 多賀 焼き肉 じゅんじゅん 2025.1

今年初、昨年の年末の12月後半はコンサートへの出席で忙しいとのことで、予定が合わず、2ヶ月ぶり。

四品目で…なぜか「ハツ」が登場…後に判明でしたがホルモンと間違えたらしい…焼肉屋あるある??

もう一品、写真を公開できないレ…がでましたが、このコースで1名2200円、2025年もすごかったです。ちなみに、更に追加で忘れたホルモン今から出すよと、言っていただきましたが、お腹限界でした。今年もよろしくお願いします。

新しい肉の焼き方、水素ガス

ほとんどの肉に焼き方を知っているつもりでしたが、最近、水素調理が登場したらしい。価格がまだ高いので、現状簡単に導入できるものではないようですが、いつか試してみたい!! 個人的なメモ記事です。

↓AI生成

調理品質の向上
食材の風味保持:水素は無臭であり、従来のガスや炭火で生じる燃料の匂いが食材に付着しないため、素材本来の香りを損ないません。

外はカリッと、中はジューシー:水素燃焼時に発生する水蒸気が調理環境の湿度を高め、蒸し焼き効果で食材の水分や旨みを閉じ込めます。肉や魚は外側が香ばしく、内部は柔らかく仕上がります。

赤外線効果:水素の炎は赤外線やマイクロ波に近い波長を含み、食材の深部まで熱を伝えるため、均一な火通りを実現します。

Deepseekで読書経験が変わりすぎる

熱海に関係ない記事が続き申し訳ございませんが、AIの進化がすごすぎて、日々驚いています。この本、英語です。翻訳はされておらず、私は英語がそこまで得意ではないので、読むのには3日程度かかると思います。

が、Deepseekに読ませる1時間もしないのはすごすぎる。技術的にはAIは理解できる文書の量に限界がある(110ページくらいしか読めない)ので、この300ページある本は100ページずつに分けてAIに与えてあげる必要があります。

記事の最後にAIが要約してくれたもの乗せときます。これで十分読んだことになるのでは…3日かかっていたものが10分で。そして、気になった部分は聞けばさらに詳細に教えてくれます。

要約された部分で、ドイツ軍に渡ったワインはどうなったと聞いたら…飲んだんかい!!

以上、AIによって海外本の読書経験が大きく変わったという話です。

第二次世界大戦中にフランス軍がナチスから奪還したワインを兵士たちが飲んだ場所や状況は、以下のような場面が記録されています。


1. 鷲の巣(ケールシュタインハウス)の現場

  • 発見直後の祝杯
    フランス軍が鷲の巣の地下倉庫で略奪ワインを発見した直後、兵士たちはその場で高級シャンパンを開けました。指揮官のベルナール・ド・ノナンクール(ローレン=ペリエ家の後継者)は、1928年産のサロン・シャンパンを自ら開栓し、兵士たちと共に勝利を祝ったと伝えられています。
    場所:ナチスの山岳要塞「鷲の巣」の地下倉庫や周辺の露頭。
  • 山麓での野営
    ワインを担架で山麓まで運ぶ途中、兵士たちは野営地や休憩地点でボトルを開けた可能性があります。アルプスの自然環境の中、戦場の緊張から解放された瞬間だったでしょう。

2. 輸送中の「移動式宴会」

  • トラックや戦車の荷台
    鷲の巣からフランスへワインを輸送する際、トラックや戦車の荷台に積まれたワインを兵士たちがその場で飲んだとされています。戦勝の高揚感から、輸送中にもかかわらず祝杯が挙げられたようです。
  • フランスへの帰還途中
    ドイツからフランス国境を越える途中の村や宿営地でも、ワインが振る舞われました。地元住民と分かち合う場面もあったと推測されます。

3. フランス本国での「勝利の宴」

  • パリの公式行事
    一部のワインはパリに運ばれ、戦勝記念式典や軍の宴会で使用されました。特に高級ボルドーワイン(例:シャトー・ラフィット)は、将校や政府関係者のテーブルに並んだとされています。
  • 兵舎や酒場
    前線から戻った兵士たちは、フランス国内の兵舎や地元のカフェで略奪品のワインを仲間と共有しました。戦時中の厳しい配給制とは対照的な「ぜいたく」な瞬間でした。

4. 戦場の「非日常的な情景」

  • ナチスの施設を転用
    占領したドイツ軍の司令部や豪華な別荘を接収し、そこで略奪ワインを飲む兵士もいました。例えば、ベルヒテスガーデンの保養地やバヴァリアの貴族の屋敷が舞台になった例があります。
  • 前線基地の即席パーティー
    戦闘の合間に前線基地で開かれた即席のパーティーでは、高級ワインが戦地の粗末なコップに注がれました。兵士の手記には「シャンパンの泡が塹壕の泥と混ざった」という描写も残っています。

エピソード:ワインを巡る人間模様

  • 「略奪品」か「正当な報酬」か
    一部の兵士は「これはフランスから盗まれたものだ」と罪悪感を抱きつつも、他の者は「戦勝の権利」として積極的に飲んだと言われます。
  • アメリカ兵との共有
    フランス軍が鷲の巣を制圧した後、到着したアメリカ兵にワインを分け与えたとの記録もあります(ただし、大半はフランス軍が独占)。

まとめ

兵士たちは、ナチスの山岳要塞、輸送中の車両、野営地、パリの公式宴会、地元の酒場など、戦場の「非日常的な空間」で略奪ワインを口にしました。これは単なる酒宴ではなく、「ナチスによる略奪への報復」「フランス文化の奪還」という象徴的な意味も込められた行為でした。

ヒトラーのワイン窟(主にベルヒテスガーデンの「鷲の巣」に隠されていた略奪ワイン)の返還プロセスは、以下のように行われました。

発見と回収:
フランス軍の占領(1945年5月):
フランス第2機甲師団のベルナール・ド・ノナンクールが部隊を率いて鷲の巣に到達。地下倉庫から約50万本の高級ワイン(ボルドー、ブルゴーニュ、シャンパンなど)を発見。ナチスが占領中にフランスから略奪したもので、中には1928年サロン・シャンパンや1937年シャトー・ラフィットなど伝説的な銘柄も含まれていた。

搬出作戦:
ワインは担架に載せて山麓まで運搬。兵士たちは担架をストレッチャー代わりに使い、ドイツ軍が破壊したエレベーターの代わりに人力で降ろした。トラックや戦車に積み込み、フランス本国へ輸送。

返還の背景:
戦利品としての扱い:
連合軍の公式な「戦利品返還手続き」はなく、フランス軍は略奪品の回収を「正当な取り戻し」と位置付けた。多くのボトルは兵士たちの戦勝祝いで消費されたが、一部は元の所有者(例:ロートシルト家)に返還された可能性もある。

象徴的な意味:
ワインの奪還は「フランスの誇りの回復」を象徴する行為とされ、ナチスによる略奪への反撃として報じられた。

エピソード:
アメリカ軍との競争:
フランス軍はアメリカ軍より先に鷲の巣を制圧し、ワインを確保。米軍到着時にはすでに大半が運び出されていた。

ベルナール・ド・ノナンクールの活躍:
シャンパンメーカー「ローレン=ペリエ」の後継者であった彼は、自ら1928年サロンを開栓し、兵士たちと勝利を祝った。

Deepseek要約(1-110ページ、110ページから220ページ、残りの3パーツです)

以下は、『Wine and War』の内容を1万字程度に要約したものです。第二次世界大戦下のフランスにおけるワイン産業の闘いと抵抗を軸に、人々の勇気と知恵を描いた物語です。


【要約】ワインと戦争:フランスの抵抗と栄光の物語

1. 戦火の到来とワイン畑の危機(1939-1940)

1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発。フランスのワイン生産者たちは、祖父や曾祖父の時代から続く伝統的な手法を守りながら、収穫を急いだ。しかし、1940年6月のフランス陥落後、国土の3分の2がドイツ占領下に置かれる。ワイン産地であるボルドー、ブルゴーニュ、シャンパーニュは特に狙われ、ナチスはフランスの「最高の宝物」であるワインの略奪を開始した。

2. ワインの隠匿:命がけの抵抗

ワイン生産者たちは、ナチスから貴重なワインを守るため、創意工夫を凝らした。

  • 壁の裏に隠す:モーリス・ドルーアン(ブルゴーニュのネゴシアン)は、中世の洞窟に煉瓦の壁を築き、ロマネ・コンティなどの名酒を隠した。蜘蛛の巣を人工的に張り、古く見せる細工も施された。
  • 偽のラベル:ポル・ロジェ(シャンパーニュメゾン)は「ドイツ国防軍専用」と刻印したボトルに劣悪なワインを詰め、本物は別の場所に隠した。
  • 自然の地形を利用:ロワール渓谷の生産者ガストン・ユエは、洞窟の入り口を雑草で覆い、ワインを保管。ドイツ軍の駐屯計画を偽文書で阻止した。

3. 「ワイン総統」たちとの駆け引き

ドイツは占領地に「ワイン総統(Weinfuhrer)」を派遣し、組織的なワイン収奪を指揮させた。

  • ハインツ・ボマーズ(ボルドー):戦前からボルドーと取引があったドイツ人商人。表面上は厳しい要求を突きつけつつ、密かに生産者を庇い、略奪を抑制。ゲーリングの要求には偽物のムートン・ロートシルトを送りつけた。
  • アドルフ・ゼグニッツ(ブルゴーニュ):ワイン愛好家として知られ、地元生産者と協調。モーリス・ドルーアンの逮捕時には釈放に尽力し、戦後も交流が続いた。
  • オットー・クレービッシュ(シャンパーニュ):冷酷な徴発を命じるも、ロベール=ジャン・ド・ヴォーグ(モエ・エ・シャンドン社長)率いるシャンパーニュ委員会(CIVC)との対立が激化。ド・ヴォーグはレジスタンス活動を支援し、1943年にゲシュタポに逮捕されるが、業界全体のストライキで死刑を免れた。

4. レジスタンスとワインの闇取引

戦時下のフランスでは、ワインがレジスタンスの資金源となり、連合軍への情報伝達手段にもなった。

  • 偽装輸送:トゥーレーヌのワイン商ジャン・モンムソーは、ワイン樽に人間を隠し、占領地と自由地帯を往来。レジスタンス指導者を脱出させた。
  • 鉄道サボタージュ:鉄道員や農民が連携し、ドイツ向けワイン貨車を故意に脱線させたり、中身を抜き取ったり。駅長アンリ・ガイヤールは「消失報告」を茶化した文書で抵抗した。
  • ブラックマーケット:シャトー・ラフィット・ロートシルトの簿記係ガビー・フォーは帳簿を偽造し、ワインの所有権を戦争捕虜のロートシルト兄弟に移すことで没収を回避。

5. 解放とワインの再生(1944-1945)

1944年6月のノルマンディー上陸作戦後、連合軍がフランス解放を進める中、ワイン生産者たちは隠したワインの復活に奔走した。

  • ヒトラーのワイン窟:1945年5月、シャンパーニュ出身の兵士ベルナール・ド・ノナクールは、ヒトラーがアルプスの山頂に隠した50万本の超絶ワイン(ラフィット、ムートン、イケムなど)を発見。これらは略奪品の返還シンボルとなった。
  • 祝杯の印:解放後、シャンパーニュメゾンは「ドイツ国防軍専用」の刻印を剥がし、「連合軍専用」に変更。テキサス兵団がアルザスのリクヴィールに到着した際、ヒューゲル家は隠し持っていた1928年サロンを振る舞った。

6. 戦後:ワインが紡いだ希望

戦争はフランスのワイン産業に深刻な打撃を与えたが、人々の結束と創意工夫が伝統を守り抜いた。

  • ガストン・ユエは捕虜収容所で5年間一滴のワインも口にできなかったが、解放後「1947年ヴーヴレ」という傑作を生み出し、「ワインは苦しみを癒す希望の象徴」と語った。
  • ロベール=ジャン・ド・ヴォーグは強制収容所から生還し、シャンパーニュ産業を再建。CIVCは今日も業界の中心として機能する。

結び:ワインが刻んだ歴史の記憶

「ワインは単なる飲み物ではない。フランスの魂だ」——この言葉通り、戦争下でワインを守る闘いは、国土と文化の尊厳をかけた抵抗そのものだった。生産者たちの機知と勇気は、ナチスの略奪に屈せず、戦後の復興へとつながった。ヒトラーの洞窟に隠されたワイン、壁裏に封印された樽、偽りのラベルの数々……それらはすべて、自由と誇りを求めた人々の物語を静かに伝えている。

要約:『ワインと戦争』(抜粋)

主な出来事と人物

  1. Hugel家の苦難
  • 1936年、ベルリン五輪時にフランス国旗を掲げたことでゲシュタポの監視対象となる。
  • 1939年、祖父が親ドイツ派を非難する演説を行い、反ナチとみなされる。
  • ドイツ軍によるワインの接収・販売制限に抵抗し、低品質の1939年ヴィンテージを意図的に出荷。
  • 次男ジョルジュは東部戦線(ウクライナ)で負傷し、赤十字の救出で奇跡的に生還。
  1. レジスタンスの活動
  • シャンパン生産者ベルナール・ド・ノナクールは、レジスタンスに加わり連合軍の武器輸送を支援。
  • ボルドーのMiailhe家はユダヤ人をシャトー・パルメの隠し部屋にかくまい、脱出を手引き。
  • モーリス・ドルーアン(ボーヌのワイン商)はゲシュタポから逃れ、300年の歴史あるワインセラーを活用して脱出。
  1. ドイツ占領下のワイン業界
  • オットー・クレービッシュ(ドイツの「ワイン総督」)がシャンパン生産を強制管理。
  • ワイン生産者は偽の在庫報告や劣化ワインの供給で抵抗。例:1943年、ピペ・エドシックのセラーに隠された武器が発覚し、経営者一家が逃亡。
  1. 終戦と解放後の混乱
  • 1944年、パリ解放直前にドイツ軍が「ワインの殿堂」を爆撃し、貴重な在庫が消失。
  • アルザスでは戦闘でブドウ畑が地雷原化し、収穫が困難に。
  • ルイ・エッシュノアー(ボルドーの大ワイン商)が対独協力で起訴され、禁固刑に。

テーマと象徴

  • ワインの文化的価値
    戦時下でもワインはフランスの誇りであり、レジスタンスの結束や戦後復興の象徴となった(例:捕虜収容所での「ワイン祭り」)。
  • 協力と抵抗の狭間
    一部の生産者はドイツとの取引で生き残りを図り(エッシュノアー)、他者はレジスタンス活動に身を投じた(ノナクール)。
  • 戦争の残虐性
    東部戦線の描写(死体、焦土作戦)や強制収容所の体験(ロベール=ジャン・ド・ヴォーグ)が、戦争の非人道性を強調。

戦後の再建

  • 廃墟と化したシャトー(ピション・ロングヴィル)や地雷だらけのブドウ畑からの復興。
  • ペタン元帥に献呈された「クロ・デュ・マレシャル」の改名と、協力者の社会的糾弾。
  • ドイツ人元将校(ハインツ・ボマーズ)との和解と新たなビジネスの始まり。

結び

この物語は、ワインという文化遺産を守るための人々の闘いを通じて、戦争の悲劇と人間のレジリエンスを描く。歴史の光と影(協力・抵抗・復讐・赦し)が、ブドウ畑とセラーの奥深くに刻まれている。

要約
第二次世界大戦中のフランスでは、ワイン生産者たちがドイツ軍の占領下で苦闘しながらも、ワイン産業を守り、戦後の復興へとつなげた。モーリス・ドルーアンやロベール=ジャン・ド・ヴォーグらは、戦時中にワイン畑や醸造設備を保護し、抵抗運動にも関与した。ドイツ軍はワインセラーを接収したが、皮肉にも一部の兵士はワインを飲んだ後、空き瓶を丁寧に戻すなど、奇妙な敬意を示す場面もあった。

戦後、元ドイツ軍関係者との和解が進んだ。モーリス・ドルーアンは自身の裁判を担当したドイツ人判事の窮状を救い、ロベール=ジャン・ド・ヴォーグは元ドイツ軍将校の無罪を証言した。また、ボルドーのバロン・フィリップ・ド・ロートシルトは元ドイツ軍将校とのビジネス再開を受け入れ、「新たなヨーロッパ」を築く意思を示した。

1945年は「勝利の年」として記録的な高品質ワインが生産され、戦争終結の象徴となった。戦後の技術革新(トラクターの導入など)が進む一方、伝統への回帰を訴える声も根強かった。ジャン・ユーゲルは「自然に任せた製法」を重視し、ガストン・ユエは若手醸造家に「学校で学んだことを忘れ、伝統に戻れ」と助言した。

戦争は生産者たちの人生を決定づけ、復興の原動力となった。ロレーヌ・ペリエを率いたベルナール・ド・ノナクールはレジスタンスでの経験を経営に活かし、シャトー・ピション・ロングヴィルを再建したマイ=エリアーヌ・ミャイユは「戦争が基本を教えた」と語った。

物語は、ワインが戦争の傷を癒し、歴史と和解を象徴する存在として描かれる。1970年代には、ドイツとフランスの指導者が握手するテレビ中継をド・ヴォーグが「生涯待ち望んだ光景」として感慨深く見つめる場面で締めくくられる。ワインは単なる飲み物ではなく、文化の継承と人間の再生の物語を体現していた。

ワインのエチケット(ラベル)を破壊した時代

2023年には全く使い物にならなかったのですが、2025年現在、仕事の半分くらいはAIと一緒にしている状態になってきました。学習についても、本やネット情報でするより、AIとの対話で勧めたほうが遥かに効率的なのには驚きますが…もう慣れました。

以下、ワインの小ネタの私的メモです。AIがウソを付くことは今もありますが、下記の情報源の確認済みです。

さて、日本のネット上にはなぜか全く存在しないのですが、昔、飲み終わったワインのエチケットを破るという習慣がありました。海外の情報源をもとに、AIと対話していきましょう。

Q. ワインのエチケットを破壊した理由は?

この行為は、「ワインに刻まれた『情報』が生命や財産を脅かす危険な記号だった時代」を反映しています。

革命期:「ラベル=身分証明書」の破棄で迫害回避

戦争・密輸:「ラベル=税務書類」の消去で経済リスク軽減

贋作対策:「ラベル=ブランド価値」の保護

現代の「ラベル収集」とは逆に、「ラベルを消すことが生存戦略」だった時代の特殊性が背景にあります。

革命(今まで権利だったものが破壊される期間)と密輸(脱税目的)は理解できますが、残りの2つについて、詳しく回答してもらいます。

Q.偽造について詳しく教えて

偽造問題の深刻化
19世紀中頃(特に1855年ボルドー格付け以降)、高級ワインの偽造が国際的に横行しました。例えば、空き瓶を回収して安価なワインを詰め替える手口が問題視され、生産者や飲食店が対策を迫られました。

参考例:ボルドーのシャトー・ラフィットは1868年、瓶の肩部分に刻印を施すことで偽造防止を図ったことが知られています。

飲食店の信頼確保
高級レストランや貴族の屋敷では、客に「本物のワインを提供した」ことを証明する必要がありました。当時の顧客(特に貴族や富裕層)は、瓶の再利用を疑う傾向がありました。

関連事例:19世紀のフランスでは、コルクに生産者名を刻印する習慣が広まり、開栓後にコルクを客に見せる行為が「本物の証明」として定着しました。ラベル破壊も同様の文脈で行われたと推測されます。

ロッド・フィリップス(Rod Phillips)の著書 French Wine: A History(2016年)では、19世紀の偽造問題と生産者の対策が詳細に分析されています。

Q.戦争とエチケットの破壊について教えて

第二次世界大戦中、ワイン生産者が自社のワインを守るため、あるいはナチスのワイン接収に抵抗するために、ボトルやラベルを意図的に損傷したり、変更したりしたケースがいくつか記述されています。

  • ボルドー地方のワイン生産者の中には、ドイツ人が自分たちのワインを持ち去るのを防ぐため、ボトルのラベルを剥がしたり、すり替えたりした者もいました。 これは、ドイツ人が特定のシャトーやヴィンテージのワインを探していることを知っていて、ラベルを隠すことでワインの魅力を減らし、接収されるのを防ごうとしたためです。
  • シャンパン地方では、生産者の中には、ドイツ軍に販売する低品質のシャンパンのボトルに、偽のラベルを貼った者もいました。 これは、自分たちの最高のシャンパンを自分たちのために、あるいは戦後に販売するために確保しようとしたためです。
  • レジスタンス運動員は、ドイツ軍の物資輸送を混乱させるため、鉄道で輸送されるワインのボトルを壊したり、ラベルをすり替えたりすることもありました。 これは、占領軍に経済的損害を与え、士気をくじくことを目的としていました。

これらの例は、戦時中、ワインボトルやラベルが単なる容器や識別子以上の意味を持っていたことを示しています。それらは、欺瞞、抵抗、そしてフランスの文化遺産を守るための闘争の象徴となりました。

Wine and War: The French, the Nazis and the Battle for France’s Greatest Treasure, 2002

となると、最初にAIが提示してきた、リストは若干違っていて、修正すると、エチケットを破壊する理由は

・革命期:「ラベル=身分証明書」の破棄で迫害回避

・密輸:「ラベル=税務書類」の消去で経済リスク軽減

・贋作対策:「ラベル=ブランド価値」の保護

・戦争 : 戦時中(占領時)にワインを保護するため

の4つが目的として20世紀前半までに行われていたということですね。AIさん、ありがとうございました。

NotebookLM / deepseek を使用しました

沼津にひかりは「止まれない」

作業用に適当にユーチューブを流していたら、「沼津」という身近な単語が耳に入ってきて、巻き戻し。

「沼津にひかりが止まってくれない」という詩が存在するようだ。

この人たちは↑と解釈したようだ。なるほど、わからん。

「西荻窪に中央線が止まってくれない」なら理解は出来る。なぜなら、通る(通過)からだ。荻窪を出たときに急病人が出れば、緊急で西荻に中央線が止まる日もあるのかもしれない。

しかし、そもそも東海道新幹線は沼津を通らないのである。別々の線路だ。なので、どんな緊急事態でも、沼津に新幹線が止まることはない…まだ詩を味わうのは私には早すぎるのでしょうね。

わさび畑を見学し、採れたての養殖ワサビを味わう。チューブより格段に良い…となると、バカはもっと良いものを知りたくなる。天然のわさび(山葵)だ。

調べていたら、フェイスブックに友人がタイムリーに投稿。キロ36,000円!!!

こちらも、私に早はすぎるのかもしれない(そのお金あったらシャトーブリアン買うわ)