墓場 クラフト文化を悪く言い過ぎた…

いまお酒の規制史について書いていて、ほぼ完成してきたのですが、7章の文書の出来には満足しているのですが、クラフト文化に関わる人を実際に見ているので、ここまで、クラフト文化を悪く言うのも、申し訳ないというか…言い過ぎと思ったので、7章だけここで成仏させます。単独でも読めると思いますし、お酒のクラフト文化の悪口を言いたいときには、ぜひ参照ください(笑)

第7章:アルコールの美しい敗北 ―― 亡霊の密造と管理される反逆

これまで権力は、液体に含まれるアルコールの量によって、課税の網を広げ、飲酒の是非を裁いてきました。しかし、現代の技術はお酒という存在の中身そのものを脱構築します。

名称自体が矛盾している「合法密造酒」の誕生。そして、その先に待っているのは、かつての密造者が手にしたような野生的な自由ではなく、自らの身体をシステムに最適化させ、物語という洗練された記号を消費する、より高度で自発的な体制への服従である可能性に思いを馳せましょう。

7.1 お酒にアルコールは必要か

歴史的にお酒とは次の前提で組み立てられてきました。中心にあるのはアルコール(エタノール)=酔いの作用で、味や香りはその周りを飾る付け足しであるという構造です。しかし、科学の進歩によって、アルコールという物質が担っていた機能は実は極めて限定的で代替可能な二つの役割に過ぎなかったことが露呈します。

冷蔵技術が未発達だった時代、アルコールは液体が腐敗するのを防ぎ、安全に水分を摂取するための生存上の薬として、また香を閉じ込めるための運搬体としての機能しました。私たちが美味しいと感じる複雑な香りの分子(エステルやフェノールなど)の多くは疎水性であり、水には溶けにくい性質を持ちます。アルコールはこれらの分子を溶かし込み、私たちの舌や鼻腔の受容器へと送り届ける溶剤として不可欠な存在でした。

しかし、冷蔵・冷凍技術が極限まで発達し、バイオテクノロジーによってアルコールを用いずに複雑な香気を抽出し、水溶化させる技術が確立されつつある現在、アルコールが保持していたこの独占権は崩壊しました。アルコールはもはや、お酒を成立させるための絶対的な本質ではなく、香りを運ぶための代替可能な手段へと引きずり下ろされつつあります。

7.1.1 酔いを去勢したお酒

この機能解体の裂け目に現れたのが、21世紀初頭から爆発的に広がったノンアルコール・低アルコールの巨大な潮流です。

かつてのノンアルコール飲料は、お酒を飲めない人のための劣った代用品であり、味気ないコピーに過ぎませんでした。しかし、現在のトレンド、あえて飲まない選択(Sober Curious)と呼ばれる運動は、全く異なる文脈を持っています。

NoLo(ノン・低アルコール)市場は2022年に110億ドル(約1.6兆円)を突破し、2034年までに765億ドルに達し、2026年から2034年にかけて年平均成長率(CAGR)7.31%で成長すると予測されています。これは、停滞する伝統的なアルコール市場(1〜2%程度)を遥かに凌駕する速度です。

現代の技術は、アルコールという毒を取り除きながら、香気成分の運搬体としての機能をハーブやボタニカル、発酵技術によって再構築することに成功しつつあります。現代のノンアルコール・スピリッツは、アルコール抜きでお酒らしい複雑な味覚というインターフェースを完璧にシミュレートします。

最新の真空蒸留技術や逆浸透膜法により、0.5%以下の残存アルコール度数でありながら、従来のビールが持つ香気成分の多くを保持することが可能になり、アダプトゲン(機能性ハーブ)やGABA、L-テアニンなどを配合したお酒は、心拍数や脳波(α波)を安定させる安全な酔いを提供し始めています。人々は、翌日の生産性を損なう酔いを慎重に排除しながら、お酒が持っていた複雑な社交の記号だけを純粋に抽出し、享受できる時代を迎えようとしています。

7.2 生権力に寄り添う理想高きクラフト文化の理念

アルコールという物質が、アルコールという即物的な実体から、香気や物語を運ぶ機能的運搬体へと解体されたとき、その空白を鮮やかに埋めたのが20世紀後半から現在に至るクラフト文化の爆発的な興隆でした。1970年代のマイクロブルワリー運動に端を発したこの潮流は、単なるビールの製造手法の変更に留まらず、私たちの生における消費と倫理のあり方を不可逆的に変容させるパラダイムシフトでもありました。

この運動の核心を貫くのは、近代資本主義が冷徹に推し進めてきた均質化への抵抗です。巨大資本が提供する大容量・低価格な酒は、場所や時間の個性を消去し、世界のどこで飲んでも同じ味がする、いわばマルク・オジェのいう非場所的(ノン・プレイス)な液体でした。これに対し、クラフト運動は、グラスの中の液体を通じて場所性の回復を力強く宣言します。それは、特定の土壌(テロワール)の風景、作り手の顔、そしてその土地が刻んできた歴史的な文法と、私たちの身体を再接続しようとする試みに他なりません。

現代の消費者は、もはや単なる効率的な酩酊を求めてはいません。彼らが対価を支払っているのは、液体の化学組成そのものではなく、その背後に横たわるプロセスの透明化という誠実な物語です。この運動は、既存の体制(Establishment)に対する極めて批評的なスタンスを内包しています。例えば、近代醸造学が提供する科学的介入を不自然として拒絶するナチュールワイン、グローバル市場が要請する効率的な機械化をあえて拒み、原始的な石窯での蒸留という遅さを死守する伝統的なメスカル、そして硬直化した酒税法の隙間を縫い、日本酒というカテゴリーの外側で新たな価値を創造する日本のクラフトサケの動き。これらはすべて、近代的な法や経済システムに対する、知的なハッキングとしての側面を持っています。

しかし、この正しく、美しく、透明な文化の追求は、果たして権力からの逃走に成功しているのでしょうか。生権力の視点に立てば、この高潔な理念の追求は、実は統治の最新形態であるという逆説的な側面が浮かび上がります。かつての権力が、法によって外部から飲むなと命じる抑圧的なものであったのに対し、現代の生権力は、人々の内面に洗練された自己管理という規律を自発的に植え付けます。透明性や倫理性へのこだわりは、国家に強制されるまでもなく、市民が自律的に正しい物語を選択し、自らの身体を最適化していくプロセスそのものです。

クラフト文化が称揚する自らの身体と人生を丁寧にケアするという理念は、国民を健康で知的、かつ生産的な資源として維持したい国家の設計図と、鏡合わせのように完璧に一致しています。クラフト文化がもたらす心地よい正しさは、自らをより滑らかにシステムへと適合させていくための、極めて洗練された服従の作法でもあるのです。

7.3 クラフトが生成する権力:文化資本と新しい見栄

アルコールの物質的解体が進む一方で、その意味の空白を文化的な記号によって埋め、新たな権力構造として固定しつつあるのがクラフト酒文化です。ここでいう権力とは、国家による法的な強制力ではなく、ピエール・ブルデューが『ディスタンクシオン』で論じたような、他者との差異を際立たせる分断の力です。

ブルデューは、趣味や嗜好が単なる個人の好みではなく、社会空間におけるその人の位置と密接に結びついていることを明かしました。趣味は格付けし、格付けする者をも格付けする(La distinction, […] classe et classe celui qui classe.)。クラフト文化は、まさにこの回路を通じて“上品な”飲酒を制度化したのです。単にビールが好きだと言うだけでは不十分であり、どのマイナーなブルワリーの哲学を知っているか、どの作り手の倫理的スタンスに共感しているか、そしてその複雑な味わいを記述する適切な言語を持ち合わせているか。こうした知識や教養は、現代における強力な文化資本となり、飲み手の自己像を底上げします。

このとき、酒は酔いという生理的作用を得るための液体から、ブルデュー的な意味での自分が何者であるかを示す媒体(メディア)へと決定的な変質を遂げます。ここにあるのは、資本主義の極めて洗練された真骨頂です。もはや資本主義は商品を単に売る段階を終え、消費者の理想の自己像を売る段階へと移行しました。クラフト酒は、その物語性と希少性によって、自己の卓越性を証明するための最高の教材となったのです。

さらに、この権力構造は顕示的消費(これみよがしな浪費)の進化形として機能しています。かつての見栄が、誰の目にも明らかな贅沢品や成金的な過剰さによって示されたのに対し、現代の洗練された見栄は、あえて目立たないことや抑制されていることを美徳とします。人々は、もはや富を誇示するために高級車を乗り回すことはしません。代わりに、彼らはオーガニックであること、ローカルであること、サステナブルであること、つまり意識が高いことを新たなステータスとして誇示します。クラフト酒文化はこの潮流と完全に合流しました。

彼らは、大資本や大量生産といった体制(Establishment)への批評的スタンスを語りながら、実際にはその消費行動を通じて、自分たちが正しい知識を持ち、正しい選択ができる、社会的に優れた人間であることを証明しようとします。クラフトのボトルを手に取ることは、反体制のポーズを取りながら、その実、特定の人々しかアクセスできない高度な文化資本のサークルに属しているという人格の証明書を購入していることに他ならないのです。反資本主義的な顔をしながら、資本主義の最新版である倫理と人格のプレミアム化を力強く支える。これこそが、クラフト文化が密かに生成している、現代的で不可視な権力の正体なのです。

7.4 反資本主義の顔をしたプレミアム化 ── 体制への讃美歌

ここで、私たちは現代の飲酒文化における最も衝撃的な転倒を目の当たりにします。酩酊の不条理や巨大資本の独占を否定する運動から生まれたはずの新しい液体ほど、皮肉なことにその価格は決して安くはありません。クラフト文化は、既存の権力や画一性を激しく罵りながら、その実、正しいものを飲んでいるかという新たな審級によって人々を分断し、選別する世界を強化しているのです。

このパラドックスを象徴するのが、20世紀後半に生まれた合法な密造酒という極めて矛盾に満ちた概念です。ここでいう合法な密造酒とは、単に法的に許可された小規模醸造を指すのではありません。それは、かつての禁酒の記憶や地下性(アンダーグラウンド)という歴史的コンテクストを、合法的な自由市場における差異化の装置として再利用する高度な戦略を指します。

かつてアパラチアの山奥で徴税官の目を盗んで造られたムーンシャインが持っていた野生的な反抗心は、現代においてマーケティング上の心地よい香りへと変質しました。密造という行為が犯罪でなくなる代わりに、それはラベルに封入され、高価な値札を正当化するためのストーリーへと書き換えられたのです。20世紀から現代へ続くこの流れは、反抗の歴史の継承などではなく、反抗の飼い慣らしとして理解すべきものです。かつての地下性と共同体の濃密な絆は、合法市場の内部でプレミアムな価値として再配合され、高付加価値な商品として生き残る道を選んだのです。

ここに、資本主義の恐るべき包摂能力があります。反体制的な態度は、もはや体制を脅かすノイズではありません。それは、体制が最も得意とする差異化倫理性ストーリー化というフィルターを通じて吸収され、適正な価格とともに制度の中心へと回収されていきます。反体制を叫ぶ声は、いつの間にか資本主義の最新版──すなわち倫理のプレミアム化を支える燃料へと変換されているのです。

特に、この傾向が極まるのがクラフト・ノン(低)アルコールという領域です。アルコールの毒性を排除し、健康・自己管理・プロセスの透明性という正しさを完璧に実装したこの液体は、アルコール入りの安酒よりもはるかに高価なものとなります。ここでは禁欲そのものがプレミアム化し、階級の標識となっているのです。

自らの身体を損なわず、知的に、倫理的に、そして健康的に振る舞うこと。この正しい液体を享受する構図は、クラフト文化が到達した最終形として、あまりにも美しく整いすぎています。反体制のポーズを取りながら、その実、国家が望む健康で生産的な主体であることを高価な対価とともに証明し続ける。それは自由への讃歌ではなく、より洗練された統治への、あまりにも甘美な体制への讃美歌に他ならないのです。

7.5 美しい敗北の味

私たちが正しい液体を求めて辿り着いた場所、それはクラフト文化が完成させた美しい敗北の極地です。かつて支配に対するノイズであったはずの反体制の精神は、今や洗練された商品へと蒸留され、情報の透明性は高価なプレミアムの値札へと置換されました。倫理を語ることそのものが、新たな階級を峻別する残酷な装置となったのです。もはや、技術がアルコールの運搬体としての機能を代替してしまった現代において、お酒がアルコールである必要性すら消失しつつあります。私たちは、毒を抜かれ、物語を詰め込まれた無害な陶酔の中に、安住しているに過ぎません。かつての密造者が命を懸けて守った自由は、今や高価なラベルの裏側に閉じ込められ、私たちはその美しさに酔いしれながら、飼い慣らされてはいないだろうか。

【閉店・更新】焼肉はつかの→成翠園→達磨→??

はつかのさんはオーナーが高齢のため2022年10月に閉店しました。

店舗は焼肉 成翠園の3店舗目としてリニューアルオープンしました。

昨日、マナックのママさんに聞きましたが、また店舗が変わり、5月から、焼肉・達磨として、再オープンしたとのことです。成翠園さんは違う店舗には何度も行っているのですが、達磨さんはまだ縁がない店舗ですので、過去に書いた記事のメンテとして情報更新だけしておきます。

伊東の方に聞き、グーグルで確認しましたが、達磨さんは2025年9月から臨時休業中のようです。今でも一定数のアクセスがあるので、更新します。

【更新ここまで】

昨日は伊東の焼肉はつかのさんへ。初カノではなく、初鹿野さんです。この上ハラミが1180円、コスパ最高の焼肉ですが、飲み物はセルフで、店員さんも職人気質。サービスを求めてはいけません。

が、逆にその分客層は良い(個人的に)。みんな、いい肉を愛する人たちです。めんどくさい肉好きのジモンさんと、多目的トイレ食通さんの写真もありました。

上は市ヶ谷のなかはら、コースで2万円の焼肉屋、多分今までで行ったところで、一番高かった店。けど、客層が医者の接待とキャバ嬢の同伴ばかりで、最高のサービスでも居心地は良くなかったです。

酔ったら、レモンを大量に氷の上から入れて、鼻でレモンを味わっているにわとりのオーナーさんと、

お腹いっぱいになったら、すぐ眠くなっちゃう、居酒屋のママさんと行ってきました。

今日は午後から雨予報のために早めに散歩に。外出たら潮風が心地よかったので、山ではなく海辺コース。海の上歩いてるので、多分実際はもっと歩いた。440キロカロリー。

グーグルで画像検索したらコウノトリらしい。
埋立地を作っているみたいで後で調べたら緑地公園に整備する方針とのこと

今月末から長浜海岸の埋め立て工事開始 伊豆山土石流の土砂活用

長浜海浜公園、左側が先日登った朝日山、真ん中が自分んち、右奥が宇佐美へ行く道の入口の確認で行った茶屋跡の場所、結構の距離歩いてますね。

公園の裏山にある塔みたいな建物。以前980万円で売りに出されていた個人宅で、自分の検討したことあります。ただ、こだわりがありすぎて、今後のメンテナンスコストが購入価格を超えそうなので、諦めました。

帰りは腹減ったので、モスでプラマイナス210キロカロリー(650-440)

モス、二階にオープンテラスがあり?? 次回確認します。

熱海→出雲→松江→帰宅 0泊3日

熱海駅の最終出発列車、サンライズ出雲・瀬戸の出雲の方のチケットが取れたので、1日だけ休みを取って出雲大社に行ってきました。そのメモ。

熱海から出雲大社は電車に一本で、乗換なしで行けるというと結構驚かれます。まさかの熱海の地元民にも。

反省点1位は ジーパンで行ったこと です。生地が硬く、縫い目がポケットの生地が寝るとき私を苦しめました…次は絶対にスウェットなどの柔らかい生地を着ていきます…。

片道13,000円くらい(乗車券10,000+特急指定券3000円)でした。予約はネットで取れるのですが、チケットの発券がまさかの熱海駅でしかできないという田舎あるある。23:30まで営業しているので、直前でもチケットの発券ができますが、何かあったら困るので、事前に一度熱海駅に行ってチケットを発券。ちなみに前日は地震があり、出発の前日のサンライズ出雲は運休…一日違いで良かったです。

熱海駅最終

9時に東京から出発しているので、私が乗る頃には寝る人はもう寝てました。仕事のあとに乗ったので、自分もほぼすぐに寝ました。

起きたら岡山でしたね。

問題は…外が明るくなったら雪でした。。こっちは軽装備、足もサンダル。日本海についてもっと勉強すべきでしたわ。

出発から11時間半、出雲大社着。

よく写真で見るここが、本殿じゃなかったのが、一番の驚き。

本殿はこちら。

魚介出汁を使っていない精進出汁の出雲そば(ベジタリアン用)、魚を食べない自分にはありがたい。

ローカル線の駅が見つからず少し彷徨う…もうすこし「駅」って主張していただきたい。

車窓から宍道湖を眺めながら、松江しんじ湖温泉に。出雲市滞在時間は3時間

夜行列車はシャワーしかないので、日帰りの温泉に立ち寄って、本日のお風呂です。宍道湖温泉1500円。14時だったので他にお客様もなく、一人で満喫。

堀川遊覧船 ぐるっと松江 堀川めぐり

船で松江城をぐるっと一周して、松江城にのぼって、残り時間3時間。

松江駅の近くで2時間飲み放題で1800円の串カツを発券、地元のお客様とも触れ合えて、いいお店でした。

大衆酒場 串かっちゃん

帰りは空いてました。松江は始発の出雲市から3駅目なので、このあと、姫路くらいまでにかけて少しずつ埋まっていく感じですかね。熱海につく頃には、行きと同じくらい混んでました。

寝台には布団があるものの、枕がないので、にゃんこは枕用に持ち込みです

水曜日の夜23時→木曜日観光→木曜日の夜移動→金曜日の早朝6時に熱海着の0泊3日。ホテル代無料。

だいぶ移動しましたね。年に2-3回はこんな旅も。

移動費 25,000 食費 5,000 その他 3,000  初詣3万強でした。では。

生権力:私にとっての禁酒法の核心が見えてきた

2年前から禁酒法について「興味」を持って調べてきましたが、ひとまず、データが揃いました。サイトにして表示しましたので、興味がある方は…いるのかしら(笑) このデータをもとにして、同人誌的な物を書いていきますよ~

世界アルコール規制ダッシュボード