昨日の記事から一晩、考えながら寝たらおおよそ理解できました。
自然選択が出生によって促進される社会においては、生殖する相手を見つける能力が選択されるわけで、その能力差によって、人間は今後も進化する。
なので、「(生殖目的の)セックスする相手を見つけること」に社会は介入するべきではなく、それを見つけられた人間が子供を産みやすいように経済的(=金銭的に)支援したり、社会的(=ひとり親など)支援で子育てしやすいようにすることが生物学的に正しいということになるのだろう。
一見、優生学的な感じもしますが、誰かが、権力が選択するわけではなく、個々人の選択によって、多様性が担保されるという点では、問題を乗り越えているように思います。
自由恋愛がその自由さによって、多様性によって、人間を進歩に導くということなのでしょう。なので、貧乳好きも、デブ専も、老け専も、ロリコンも平等に尊い(相手が見つけられた場合に限る)。
ちなみに網代のスナックでも、タイのBLドラマの話で盛り上がれます。以上。