
この本、冒頭、「本を読むことは、本を読まないことと表裏一体である。(P.27)」とよくわからない方向から語られる。
新しいカテゴリーとして読書を追加しました。
からのモンテーニュの「人はよく私の書いたものを私に向かって引用するが、私自身はそれが自分のものであると気が付かない(P.99)」という、読む以前に書いた人間すら「読むことができていない」ということ。
デンマークの王子ハムレットが、父王を毒殺して王位に就き、母を妃とした叔父に復讐する物語
ハムレット - wikiより
この話には父の亡霊なるものが登場するのですが、これをフィクションとして読めば楽しめる、ノンフィクションとすれば非合理的で酔っ払いが書いたものかと思うかもしれないし、ミステリーだとしたら、犯人が「亡霊でした」じゃ、読者の多くは納得しないだろう(P.136あたり)。
極端に言えば、批評は、作品ともはやなんの関係も持たないとき、理想的な形式にたどり着く。…中略…批評の対象は作品ではなく、批評家自身なのである(P.260)。
この本、どこに着地するのかと思えば、最終的には、
教育が書物を脱神聖化するという教育本楽の役割を十分果たさないので、学生たちは自分たちの本を書く権利が自分たちにあるとは思わない。…中略…本を丸暗記させられたり、本に「何が書いてあるか」を言わされたりすることで、想像力が最も必要とされている場面で想像力に訴えることを自らに禁じている。
P.272
日本で幅広く行われている教育方法に対する批判で終わる。読むという行為が想像する行為である以上、読まなくても想像によって、本を読まずとも語れるということなのでしょう。まぁ、分かります。上で自分もハムレット読まずにハムレット語ってますし。
一点、最後の訳者あとがきが25ページもあってうざい…君の本ではないよ。


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