
久々にお高いワインを含むワイン勉強会に行ってきました。入手困難のお高いワインでも、オーパス・ワンのようなわかりやすく美味しいものから、ハーラン エステート ザ メイデンのようなわかりにくいものまで。いい勉強になりました。高級ワインは年1飲めればいいかな。

ありがとうございました!!

ついでにデパートメントHに行ってきました。このステージ…これで朝4時ですからね。東京ってこわーい。

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ついでにデパートメントHに行ってきました。このステージ…これで朝4時ですからね。東京ってこわーい。

朝、ウトウト、ニュースチェックでツイッターを見ていたら、なんか見た。記事を書くにあたって、再検索したら見つからなかったので、上の写真はイメージですが…23区生まれの人間は地元の悪口を言い慣れています。こういう記事を書く人って…どんな田舎者記者なのか見てみたい一方、上京組ばかりだからできることだと感じるわけです。
今私は静岡県に住んでいるわけですが、静岡市の中心部の家賃が過去最高を更新しても、静岡新聞・熱海新聞等はローカルを重視しているので「静岡市〇〇区はもう住む場所じゃない」といった表現は絶対に使わないでしょう。地方のマスゴミにもまだ、実際にそこに生まれ、そこに住んでいる人間に対する想像力があるわけです。東京に上京した子にはないのでしょうね。
移住して4年目になりますが、熱海出身の人の前で、スラスラと熱海に移住した不満なことを言える人が実際にいるわけです。その意味では、生まれからして、「住む場所じゃない」「冷たい」「どこ行っても行列」「外国人しかいない」など、言われ続けてきた23区生まれの人は、「だったら地元帰れよ」というツッコミを常に我慢して生きているので、移住に向いているのではないかと思ったりするわけです。
つまり…人様の郷土・田舎に強制連行ではなく、自分で引っ越したんなら、その場所を愛してください。できならなら帰ったほうがよろしいかと。

そう、太陽は肛門です。

2月に訪問した新潟のぽんしゅ館、7月から値上げはいいのでが、まさかの値段が倍に!! 上げすぎ…まぁ、2月に行っといてよかったです。
今日新しく米が届きましたが、5キロで3200円、米の値段は落ち着いてきましたね。

明日、川崎の物件が売れる。東中野も売ったし、残るは網代の家だけになった。ついに1拠点生活。41歳。まぁ、悪くもない折返しかなと思う。

飲み屋でのんでいれば、人間としての付き合いがあれば、嫌われることもありますが、何度か意味不明に嫌われたことがあります。理解できない悪口を言われることがあります。が、先日、ちょっとした会話の中で、語りの自律性(narrative autonomy)という概念の導入で分析できるなと思い立った次第です。
語りの自律性とは、簡単に言えば自分の言葉で喋ることですが、人間関係・職場関係・地域での立場などから、自分の言葉で喋ることができない人間も存在することは理解してはいますが、自分の言葉で喋る人間が隣にいること自体が、一種の権力性・暴力性を持ち、その嫌悪の対象は行為(何をしたか)ではなく、存在様式にあるのだと41歳になって気づくのです。まぁ…嫌われても、しゃーーーないか。
下記、AI生成
「語りの自律性(narrative autonomy)」を確立し、自らの文脈で生きる存在に対して、それを持ち得ない(あるいは既存の物語に従属している)存在が抱く嫌悪感や反発は、社会心理学、哲学(ニーチェのルサンチマン理論など)、そしてナラティブ理論において非常に深い議論がなされるテーマです。
この嫌悪感は、単なる「嫉妬」や「好き嫌い」のレベルにとどまりません。本質的には、「自己の存在基盤を脅かされる恐怖」や「支配的な規範への過剰適応が生む歪み」から生じています。
その心理的・社会的なメカニズムを4つの視点から分析します。
ドミナント・ストーリー(社会的な標準、既存の役割、他者からの評価軸など)に過剰に適応して生きている人にとって、語りの自律性を持つ者は「自分が抑圧している可能性」を突きつける鏡として機能します。
社会や集団が共有するドミナント・ストーリー(例:「伝統的な家族観」「標準的なキャリアパス」「被害者/加害者という記号的枠組み」)は、多くの人にとって世界の予測可能性を担保するシェルターです。
ニーチェのいう「ルサンチマン(強者や自由な者に対する、弱者の怨恨・復讐心)」の構造がここに現れます。
語りの自律性を持つ者は、社会が用意した既製の言葉ではなく、自らの経験に根ざした独自の言葉や文脈(オルタナティブ・ストーリー)を用います。
総じて、語りの自律性を持つものに対する嫌悪感とは、「既存の物語に従属することでかろうじて保たれている自己のアイデンティティ」が、自律的な他者の存在によって脅かされたときに生じる防衛反応であると言えます。
それは相手への個人的な攻撃であると同時に、本質的には「自分自身の人生のプロットを他者に握られていること」に対する、無意識下の悲鳴や絶望の裏返しでもあるのです。