今年の新人さん

最前列が当選し、今年は110期生さんの初舞台を最高の位置で見られました。

こちらの記事の更新のペースが遅いのはAIにハマってずっといじっているからなのですが、2週間いかなかったら…こんなにも緑化されてました、こわっ。。。

奥のセメントなどで土壌改良した部分にはあまり植物がいなかったので、手前にもしっかりとセメント施していきます。

ぎりぎり富士急

いってきた、4時30分退園の5時から雨でした。熱海から1時間半で行ける。

あまり美味しそうに見えないが…モス限定メニュー、スパイシー高飛車バーガー。

焼き鳥 万楽

前回作るために準備し素材がまだまだあったので、次の日もベーコンを足してベーコンチーズバーガーです。

近所で飲んでいたら女子がじいさんに絡まれていたので割って入ったら、熱海で焼き鳥屋さんをやっているというので行ってみた。安くて、ポーションも小さくて食べやすい。遠いところをのぞけば最高です。

やきとり 万楽

その後69さんから独立した4月オープンのスナックみやこさんに。なんか見たことある人だなーーーと思って、帰ってインスタ見たら、ビール祭りのときに10cmくらいのピンヒールはいて、身長2m位になってる人だった。

スナック みやこ

ますますです、一日おしまい。以上、地方移住者の一日でした。

大まかな禁酒法の現代史

1494-1495年 スコッチ・ウイスキーの最古の証拠がスコットランド王室の出納簿に記される。

1644年 スコットランド議会が蒸留酒に初の物品税を課す。

1661年 イギリスがアイルランドのウイスキーに初めて課税し、ダブリンに物品税局を設置。

1721年 ロンドンの労働者階級によるジン飲酒について論争が始まる。1751年に法律が制定され、論争に終止符が打たれる。

1784年 フィラデルフィアの医師、独立宣言の署名者、独立戦争の外科医ベンジャミン・ラッシュが、アメリカの禁酒法の古典となる『人体と精神に及ぼす酒類の影響に関する研究』を出版。

1790~1791年 イギリス東インド会社(EIC)が、イギリスの支配下にある地域で酒税を導入。違法な蒸留所を抑制し、消費を制限するためと思われたが、この政策は、それまで自分たちで酒を蒸留していた貧困層、低カースト、部族のコミュニティに大きな打撃を与えた。

1791年 アメリカ議会が国内のウイスキー蒸留業者に物品税を課す。

1794年 西部の農民が蒸留税に反対して反乱を起こすが、連邦軍が反乱軍に対して出動したため、ウイスキーの乱は終結。  

1802年 アメリカ議会がネイティブ・アメリカンへの酒類販売を禁止する最初の法律を可決。

1819-1826年 ロシア初のアルコール専売制度が導入され、アルコール消費量が減少。

1851年 ニール・ダウ・ポートランド市長の率いるキャンペーンの結果、メイン州で初の州レベルでの禁酒法が制定される。1855年までに、メイン州をモデルにした禁酒法が12の州と準州で制定される。

1853年 英国議会がスコットランドの日曜休業を法制化。議会は1976年にこの法律を廃止。

1860年 英国議会が蒸留酒法を可決し、初めてウイスキーのブレンドが認められる。

1862年 アメリカ議会が、南北戦争の資金調達のため、物品税とライセンス料をセットにした近代的なアルコール課税制度を開始。しかし、この税金は戦争が終わっても廃止されることはなかった。

1872年 イギリス議会が、イングランドとウェールズで販売時間を制限する、より限定的な自由党提案のライセンス法案を採択。

1875年 横浜日本人禁酒協会が設立され、日本初の日本人禁酒団体となる。

1886年 禁酒飲料としてコカ・コーラが発売される。

1900年 東京禁酒同盟(後の日本禁酒同盟[JTU])が結成される。

1912年 アイスランドが禁酒法を導入。

1914年 戦時動員対策としてロシア政府は禁酒法を導入するが、密造酒が増加。禁酒法はボリシェヴィキの支配下で1925年まで続く。

1916年  フィンランド、1932年まで続く禁酒法を採択。

1925年 アメリカ反酒場同盟(ASLA)が『アルコール問題の標準百科事典』の第1巻を出版。

1943年 E・M・ジェリネック率いるイェール大学アルコール研究センターが、アルコール依存症に関する新しい考え方を広める上で重要な2つの機関を設立: エール・プラン・クリニックは、アルコール依存症患者の外来治療、ソーシャル・サービス・ワーカーの養成、臨床研究のための研究拠点となり、エール・アルコール研究学校は今夏に第1期を開校。

1949年 独立したばかりのインドの憲法が州の禁酒法を認める。

1973年 胎児アルコール症候群(FAS)が初めて明確な臨床的実体として同定される。

1979年 米国議会がクランストン法を可決し、成人が自宅で最大100ガロンのビールを醸造できるようになる。

1985年 ソビエト連邦の新指導者ミハイル・ゴルバチョフが、アルコール依存症の問題を政権の最優先課題として取り上げる。国家と党の幹部は、アルコールの購入量、販売時間、飲酒場所を制限する一連の法令を発表。

Alcohol and Temperance in Modern Historyを編集したものである。

資料が集まってきたので、冬には!

ハンバーガーって作るの難しいとかってに何処かで思っていたが、やってみたら簡単だった!! ピクルスの準備を忘れてしまった…

さて、2年前の思いつきなんですね。世界中のお酒が飲めない理由について資料も集まってきたので、冬の向けて、また同人誌みたいなものを書いていこうと思います。

私の本の書き方は、このようなブログサイトでその日の作業メモをアップしていって、それを最終的に20-30記事くらい溜まったら、1冊にまとめるというやり方なので、移住や熱海とは全く関係ない禁酒法に関する記事が今後量産されると思います。ご理解ください。