嘘を間違えたのね。お元気で。
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沈黙の春
移住関係の検索が多いのか、こんな記事が表示されました。…異常すぎるのではないだろうか。
鳥の鳴き声については自分も書きましたが、朝、意識朦朧?? 半分寝ている状態で鳥の鳴き声を聞き続けながら、哲学してみると、自分は正常な世界に生きているんだなあと実感する。
このライター、沈黙の春という本を知らないのでしょうか。
沈黙の春』(ちんもくのはる、Silent Spring, ISBN 978-4102074015)は、1962年に出版されたレイチェル・カーソンの著書。DDTを始めとする農薬などの化学物質の危険性を、鳥達が鳴かなくなった春という出来事を通し訴えた作品。
沈黙の春 wiki
鳥はうるさいくらいがちょうどいい。
におい 2
においの歴史、1/3ほど消化しましたが、おおよそ、マスクとの親和性は高いですね。
すなわち、ある種の礼儀作法、とりわけ他人が不快に感ずるのを避けるための礼儀作法の規範が、同じく自己愛的な満足を目的とする一群の衛生学的な教えの方に向かってゆっくりと歩み寄っていったことである。
においの歴史 P.97
単なる匂いの寄せ集めから臭覚的な自己表現への変化が徐々に輪郭を取り始める。
においの歴史 P.98
マスクの行く先ではないだろうか?? マスクがばい菌や花粉から自己を守る目的とするものから、社会に・他者に対する意識の高さを表現するものに昇華していくのだろうか。いやーね。
他人への義務はいつまで
今の仕事おわったら、本日東京に戻る予定なのですが、マスク着用、東京はどうなっているのでしょうか?
熱海ではほぼ人が出歩いていないので、外に出るときにはマスクを携帯するようにはして、基本、コンビニとかに入る時しかつけていない感じです。調べてみたらこんなポスターが厚生労働省から。屋内でしゃべらないときにはマスク着用必要なしとのこと。例としては図書館と芸術鑑賞。
けど、こんかい立ち寄る予定の施設は国(国立国会図書館)も、民間(ブリリアホール)も、マスク義務のママ。
個人的には、世の中狂ってしまったのは、他人への義務が広く発信されたときかなと思っています。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐには、「自分だけでなく周りの人へうつさない」ことを意識することがとても重要です。「自分が感染しないだけでなく、他人へも感染させない」ことを常に留意して行動してください。
https://www.tpu.ac.jp/news/2368/
マスク着用について、自分で判断することは原則的には可能です。それこそ、一番上の厚労省の基準と自分の体調から判断すれば良いと思いますが、他人(知らない人)の感染リスク評価をすることは、どう考えて不可能で、だとすれば、マナーとしては、最大限の配慮(常にマスク)をしなければならなくなり、永久的にマスクを外すことは不可能ではないかと思います。
マスクをつけるかどうかの判断用件は、自己に対する判断ので、他人に配慮する必要はない、というメッセージが発信されない限り、状況は変わらないのかな??
現行の基準は 熱中症(自己のリスク) vs 他者への配慮 で、合理性という天秤ではなく、合理性と他者への気遣いが天秤にかかっており…人間性が試されているのでしょうか??
あ、wikiサーバー落ちてる。。
睡眠学習
昨日の記事から一晩、考えながら寝たらおおよそ理解できました。
自然選択が出生によって促進される社会においては、生殖する相手を見つける能力が選択されるわけで、その能力差によって、人間は今後も進化する。
なので、「(生殖目的の)セックスする相手を見つけること」に社会は介入するべきではなく、それを見つけられた人間が子供を産みやすいように経済的(=金銭的に)支援したり、社会的(=ひとり親など)支援で子育てしやすいようにすることが生物学的に正しいということになるのだろう。
一見、優生学的な感じもしますが、誰かが、権力が選択するわけではなく、個々人の選択によって、多様性が担保されるという点では、問題を乗り越えているように思います。
自由恋愛がその自由さによって、多様性によって、人間を進歩に導くということなのでしょう。なので、貧乳好きも、デブ専も、老け専も、ロリコンも平等に尊い(相手が見つけられた場合に限る)。
ちなみに網代のスナックでも、タイのBLドラマの話で盛り上がれます。以上。