におい

今日の海はこんな感じ
光の当たり具合でこんなにも違う(1週間前)

マスクは今後どうなるかわかりませんが、マナーとして残るのであれば、においと同じような感じになるのではないかなと…思い、こちらを。アウラ・セミナリス(精液の霊気)ってなんだよ(笑)

まだ1/5程度しか読めていませんが、フランス人らしい書き方が結構面白い

月経とその臭気が学問的な言説によって称賛されることによって、女は新たな純粋さを獲得するが、それと同時にオカルト的な力を失う。

においの歴史 P.58

他人への義務はいつまで

今の仕事おわったら、本日東京に戻る予定なのですが、マスク着用、東京はどうなっているのでしょうか?

熱海ではほぼ人が出歩いていないので、外に出るときにはマスクを携帯するようにはして、基本、コンビニとかに入る時しかつけていない感じです。調べてみたらこんなポスターが厚生労働省から。屋内でしゃべらないときにはマスク着用必要なしとのこと。例としては図書館と芸術鑑賞。

けど、こんかい立ち寄る予定の施設は国(国立国会図書館)も、民間(ブリリアホール)も、マスク義務のママ。

個人的には、世の中狂ってしまったのは、他人への義務が広く発信されたときかなと思っています。

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐには、「自分だけでなく周りの人へうつさない」ことを意識することがとても重要です。「自分が感染しないだけでなく、他人へも感染させない」ことを常に留意して行動してください。

https://www.tpu.ac.jp/news/2368/

マスク着用について、自分で判断することは原則的には可能です。それこそ、一番上の厚労省の基準と自分の体調から判断すれば良いと思いますが、他人(知らない人)の感染リスク評価をすることは、どう考えて不可能で、だとすれば、マナーとしては、最大限の配慮(常にマスク)をしなければならなくなり、永久的にマスクを外すことは不可能ではないかと思います。

マスクをつけるかどうかの判断用件は、自己に対する判断ので、他人に配慮する必要はない、というメッセージが発信されない限り、状況は変わらないのかな??

現行の基準は  熱中症(自己のリスク) vs 他者への配慮  で、合理性という天秤ではなく、合理性と他者への気遣いが天秤にかかっており…人間性が試されているのでしょうか??

あ、wikiサーバー落ちてる。。

ちよっと散歩、ママいっぱい

海がいい感じだったので、仕事の合間に山を降り。

ファミチキ、ここにたどり着くまでに、仕入れを運び入れるママ、エアコン修理で外に出てたママ、昼カラの看板をしまうママの3組に会う。ちょっとは街に馴染んできたかな。

宝塚好きの話で盛り上がり、ボトルが花組に。では、仕事に戻ります。

睡眠学習

昨日の記事から一晩、考えながら寝たらおおよそ理解できました。

自然選択が出生によって促進される社会においては、生殖する相手を見つける能力が選択されるわけで、その能力差によって、人間は今後も進化する。

なので、「(生殖目的の)セックスする相手を見つけること」に社会は介入するべきではなく、それを見つけられた人間が子供を産みやすいように経済的(=金銭的に)支援したり、社会的(=ひとり親など)支援で子育てしやすいようにすることが生物学的に正しいということになるのだろう。

一見、優生学的な感じもしますが、誰かが、権力が選択するわけではなく、個々人の選択によって、多様性が担保されるという点では、問題を乗り越えているように思います。

自由恋愛がその自由さによって、多様性によって、人間を進歩に導くということなのでしょう。なので、貧乳好きも、デブ専も、老け専も、ロリコンも平等に尊い(相手が見つけられた場合に限る)。

ちなみに網代のスナックでも、タイのBLドラマの話で盛り上がれます。以上。