私は日本語が読めない…でもみんな読めなかった!!

私も昨日までそう信じていました。中学校で教わったのかな??

(本日、流石に寒くて、熱海移住後、はじめて暖房を入れました、外は1度です am11:18)

20年も経てば知識は変わるもので、また、教わった先生、教科書というものの成り立ち(受験の連続性という性質上最新の研究結果を反映しない)で、20年前でもすでに間違っているとされていることを教えられたりするものです。

大学院受験以前に、問題が出たときに商業出版された本だけではなく、論文を読む癖がついたことは本当に良かったと思っています。

さて、今イリアスを読んでいるのですが、古くある本だから、青空文庫とかで無料版あるかなと思ったらありました。しかし、これが読めない…

次に弓射る者のため暗緑の鐵賞に賭け、
兩刄の斧と片刄とを各々十個取り出し、
而してはるか沙の上、引き上げられし黒船の
はしらを的と打ち定め、そこに可憐の鳩一羽、
細き糸もて足繋ぎ之を射るべく命下す。

イーリアス 土井晩翠訳 1940発行 https://www.aozora.gr.jp/cards/001099/files/46996_40612.html

これは競技形式を含む形で記述が残っているアーチェリー競技の最古の記録とされているのですが、さっぱりです。

Achilles next offered a prize of iron for archery, ten double-edged axes and ten with single edges: he set up a ship’s mast, some way off upon the sands, and with a fine string tied a pigeon to it by the foot; this was what they were to aim at.

アキレスは次に、弓矢のための鉄の賞品として、両刃の斧10本と片刃の斧10本を差し出した。彼は、砂浜に少し離れたところに船のマストを立て、細い糸で鳩を足元に結びつけ、これを彼らの狙いとした。

Butler, Samuel 訳 1898 https://www.gutenberg.org/cache/epub/2199/pg2199.txt 

読めない問題は英語をAIに翻訳させて読めたのですが、100年前の日本語に翻訳された文書より、機械翻訳のほうが読めるというのも面白い問題ですが、それ以前に自分が読めない文書を当時(戦前)の日本人の多くが読めた訳あるのか?? と疑問になり、調べてみました。

wikiの識字という項目で「一方、近世までの日本の識字率は同時代の北西ヨーロッパには遠く及ばない水準であり、庶民向けに盲暦絵心経などが考案されるなど、「江戸時代の日本の識字率は世界一だった」という説も現在の研究では否定されている[27][28]。」とさっそく出てきました。

その根拠になっている資料を読むと、

これにたいして、ルビンジャーは、「これらの研究は、寺子屋への就学率をそのまま識字率に読み替えるなどして識字率を高く見積もりすぎている」と疑問を呈している ( ルビ ンジャー、2008、199 頁 )。

識字能力・識字率の歴史的推移――日本の経験 斉藤泰雄

と書かれているが、そりゃそうだ(笑) 日本人の全員が義務教育で英語を習うけど、それをもって、日本人が全員英語ができるっていうやついたら…俺も疑問呈しちゃう!!

また、このイリアスが出版された8年後の1948年、戦後に行われた識字調査で、「漢字の読み書きができない者は2.1%にとどまり、日本人の識字率が非常に高いことが証明された。」という戦後の歴史になっているようだが、

「読み書き調査案内状」がサンプルとしてえらばれた家庭におくられたのである。非識字者が読めなかった可能性がある。あるいは誰かに読んでもらったとしても、読み書きのテストに尻込みして出かけなかった可能性もある。

「日本人の読み書き能力調査」(1948)の再検証 角 知行

日本語読めないの俺だけじゃないことがわかって、すっきり(問題はぜんぜん解決してないけど…)

山川、若手頑張るの限界

最近、アーチェリーの歴史の整理で世界史に再度触れているのですが、研究者界隈ではこの50年ほど、自分が暗黒時代として習った中世が再評価されています。詳細は「中世とは何か( J.ル・ゴフ)」でもどうぞ。

それはさておき、興味本位で教科書では教えられ方が変化したのか気になって、調べてみました。

一般的に使用されている山川をみてみると、昔よりも言い方が若干柔らかいものになっていますが、基本的にはこの時代について否定的な書き方をまだしています。この教科書は10人の歴史家によって書かれているのですが、なんと、そのうち生き残っているのは4人だけという低い生存率のロングセラー(*)です。先輩たちによって書かれ磨かれてきた本文を、若手が書き換えるのは簡単ではないということなのでしょうね。

*史学会編『世界史概観』山川出版社、1949 年に起源を持つ教科書とのこと

この新時代区分は、ここ30-40年のあいだに欧米の歴史学会で受け入れられ、現在では広く認められている。

P.130

中世末期の文化の一つとして「ルネサンス」を配置する教科書も現れた。

P.136

生きてる書き手は、本文に変化をもたらすことができない代わりに、本文とは関係ないコラムを使って、なんとか最新の理解を学生に届けようと苦労している模様、頑張ってください。それにしても、欧米の中世の話である以上、「欧米の歴史学会で受け入れられ」ているんなら、日本のベテラン勢の認知を待つ必要あるん(笑)

大学院に行こうとはまだ思っていますが、その界隈に近づくほど、若干めんどい世界だというのが見えてきたかも。

30年前に問題提起をした論文はこちらです。1985年。

研究ノート 世界史教科書にみる中世とルネサンスの記述について : 暗黒の中世とルネサンスの春と

マナーのプロ

1895 Henley Royal Regatta

昨日の記事を書いてから、この話広がらないかなと思って一晩家飲みしたのですが、考えれば考えるほど面白い話だと思った次第です。

日本で一般的にプロ・アマ問題というと野球の話だと思う人が多いのかもしれませんが、スポーツ全般におけるプロ・アマ問題というものは、スポーツの主体に関する問題です。

ローズ・クリケット場のような大規模な常設専用競技場が登場したのもこの時期の特徴であろう。もっとも、大部分のスポーツはいまだ共有の空き地や公道で行なわれていたし、観客は文字どおり「見物人」で、入場料が徴収されることはほとんどなかった。

すでにプロ選手もいた。19世紀末に登場し、現代へと繋がるプロとは違い、彼らはジェントルマンの遊び=スポーツのために働く使用人[サーヴァント]の一種であった。実際、19世紀初め頃までのクリケットのプロ選手の中には、ジェントルマンの屋敷の庭師や猟場番を務める者がいたし、ボクサーの中には貴族のボディガードを兼ねる者もいた。クリケットでは、彼らはプレーヤーと呼ばれ、ボクシングではピュジリスト、競馬の騎手はジョッキー、狩猟ではハンツマンなど、それぞれが個別の名称で呼ばれた。逆に、彼らを雇うジェントルマンたちは、どのようなスポーツを行なう場合でもスポーツマンまたはジェントルマンの名で呼ばれ、またそれを自称した。同じスポーツに関わっていても、ジェントルマンにとってのそれは娯楽であり、プロにとってのそれは労働だったのである。

スポーツの世界史 坂上康博, 中房敏朗, 石井昌幸, 高嶋航 編著 一色出版, 2018.9

ちゃんと定義すると記事が長くなりますが、簡単にいえば、アマチュアリズムにおいて、主体はアマチュア(ブルジョワジー=ジェントリー)であり、金銭を得て働くプロは労働者(プロレタリアート)に過ぎないわけです。

自分に慣れ親しんだスポーツ業界におけるこの関係が、そのままマナーの業界にも当てはまることに少し驚き、もう少し深く勉強してみようと思いました。

例えば、学術研究においてはそんな訳はなく、プロの研究者が研究した結果を、プロの教育者が一般化していき、最終的にはアマチュアである学生に教育がされます。プロの研究者が主体であるのは間違いありません。相対性理論を書きかげたアインシュタインが一番偉いのです。

しかし、マナーの(ここでは食事のマナーを前提に)プロは何も生み出さず、逆にアマチュア(貴族や資本家)が生み出したマナー文化を無批判に受け入れ、それを次の世代の無知なアマチュアに再生産をしていくわけですが、プロなのに労働者に過ぎす、自身が主体になることがないという点では、スポーツのプロ・アマ問題と同じ構図にあるように思うのです。マナーのプロとして生徒にグランメゾンでの貴族の晩餐会での立ち振舞を無知な生徒に教えることをしても、自身がその場に主体的に参加することは一生ないでしょう。

スポーツの世界ではもうアマプロ問題はありません。オリンピックでは74年にアマチュア規定が削除され、多くのプロ選手がスポーツで活躍しています。対して、マナーの世界でプロがアマを超えて活躍する日が来るとは…ないでしょう。面白い。

次回7日に国立国会図書館に行く予定なので、それまでに収集する資料のリストアップをしましょう。

通勤の最適化

通勤方法を改善しました。

当初 網代 → 川崎 通常運賃 + 現金グリーン券 1690+1000 = 2690円 約2時間

2代目 網代 → 川崎 通常運賃 + JREポイントグリーン券 1690+600 = 2290円 約2時間

3代目 網代 → 熱海 → 川崎 前日30%引き踊り子 200+1770 = 1970円 1時間半

なんでこの切符買えないのかなと思っていましたが、設定区間に網代がなかったのが原因と判明、一度熱海で乗り換え(降りる)れば、使える模様。

今のところこれがベストかな??

当たり前の回答…ごめんなさい

窓の風景が秋に変わってきました

そう、温泉では体を洗う石鹸の泡立ちが悪い、すぐに石鹸カスになる。しかし、その理由は書かれていても、解決法が書かれていないのはどうして?

ということでホームページを管理している花王に直接聞いてみた。

泡立たないのなら、泡立った状態で使ってくれというなんとも良心的、常識的なお答えが…思いつかず本当に申し訳ございませんでした。。。